埼玉県の発祥の地 voi.1
2021.02.04
志木富士見店のブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。
当ブログで、不定期にて埼玉県の歴史や名所をご紹介して参ります。
第一弾では、国営武蔵丘陵森林公園の『紅葉見ナイト』をご紹介致しました。
さあ、第二弾は…
埼玉県の県名発祥の地、『行田市』です。
まずは、『さきたま古墳公園』(埼玉古墳群)です。
ここは、古代史好きの私が何度も訪れる『癒しの地』。
行田市街地から南東に2.5kmのところにある、埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)
埼玉県の県名発祥の地『埼玉(さきたま)』地区にあります。
全9基(前方後円墳8基・円墳1基)の大型古墳が残っており、全国でも数少ない
大規模な古墳群です。
これらの古墳群は5世紀末から7世紀にかけて築造されたとのことです。
では、その古墳群の中から代表的な古墳を巡りましょう。
【丸墓山古墳】
直径105mの円墳で、国内でも最大級と言われています。
『円墳』とは真上から見たときに
円状に見える古墳で、埼玉古墳群では唯一の形状です。
全景

高さは18.9m。小さな山のようですね。さて、登ってみましょうか。
頂上からの眺め

頂上から行田市街が眺望出来ます。『忍城』もはっきり見えますね。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉より忍城の攻略を命じられた石田三成が
ここに陣を取ったそうです。
『忍城水攻め』で有名ですね。
『丸墓山古墳』を下って、芝生広場を歩いていくと『稲荷山古墳』に到着。
【稲荷山古墳】
墳丘長 約120m 高さ11.7mの前方後円墳です。
『前方後円墳』は台形状の前方部と後円部から構成されています。
真上から見ると、昔の鍵穴のような形状をしています。
古墳の中では最もポピュラーな形状で、古墳と言ったらこの前方後円墳を
思い浮かべる方が多いでしょうね。
全景

二つの異なる形状で構成されているのがお判りでしょうか。
ピラミッドに見える前方部

前方部を真正面から撮影しました。このアングルだとピラミッドのようです。
1968年、この稲荷山古墳を発掘調査をしたところ、
『金錯銘鉄剣』が後円部から出土されました。
日本史の教科書でも必ず出典されています。。1983年に国宝に指定されました。
その名のとおり、長さ約73.5cmの刀剣の全115文字の銘文には、
辛亥年という表記から西暦471年(定説)が、
『ワカタケル大王』表記から21代雄略天皇を読み取ることが出来、
同天皇が実 在したという具体的な証拠にもなった貴重な資料となりました。
実物は公園内の『埼玉県立さきたま史跡の博物館』に展示されています。
では、稲荷山古墳に登ってみましょう。
前方部から登って頂上へ行くと、その先に後円部が見えます。
前方部から後円部を望む

後円部から前方部を望む

更に進んでいくと、いよいよ後円部に到着。頂上に立ってみます。
『金錯銘鉄刀』を含め、数々の副葬品が出土したのがここです。
現在、その出土時の状態を再現した陶製パネルがあり分かりやすい説明もあります。
稲荷山古墳後円部からの風景

見晴らしの良い後円部頂上から1枚。
写真にあるタワーは『古代蓮の里』の展望台。高さは約50mとのこと。
古代蓮は行田市の『市の花』。『古代蓮の里』の古代蓮の見ごろは夏
展望台から見ることが出来る『田んぼアート』も最近の人気となっています。
今回はここまでのご紹介になります。
次回、『将軍山古墳』をご紹介致しますのでお楽しみに!!
※当ブログの掲載写真は投稿者自らの撮影であり、掲載許可を頂いております。
当ブログで、不定期にて埼玉県の歴史や名所をご紹介して参ります。
第一弾では、国営武蔵丘陵森林公園の『紅葉見ナイト』をご紹介致しました。
さあ、第二弾は…
埼玉県の県名発祥の地、『行田市』です。
まずは、『さきたま古墳公園』(埼玉古墳群)です。
ここは、古代史好きの私が何度も訪れる『癒しの地』。
行田市街地から南東に2.5kmのところにある、埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)
埼玉県の県名発祥の地『埼玉(さきたま)』地区にあります。
全9基(前方後円墳8基・円墳1基)の大型古墳が残っており、全国でも数少ない
大規模な古墳群です。
これらの古墳群は5世紀末から7世紀にかけて築造されたとのことです。
では、その古墳群の中から代表的な古墳を巡りましょう。
【丸墓山古墳】
直径105mの円墳で、国内でも最大級と言われています。
『円墳』とは真上から見たときに
円状に見える古墳で、埼玉古墳群では唯一の形状です。
全景

高さは18.9m。小さな山のようですね。さて、登ってみましょうか。
頂上からの眺め

頂上から行田市街が眺望出来ます。『忍城』もはっきり見えますね。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉より忍城の攻略を命じられた石田三成が
ここに陣を取ったそうです。
『忍城水攻め』で有名ですね。
『丸墓山古墳』を下って、芝生広場を歩いていくと『稲荷山古墳』に到着。
【稲荷山古墳】
墳丘長 約120m 高さ11.7mの前方後円墳です。
『前方後円墳』は台形状の前方部と後円部から構成されています。
真上から見ると、昔の鍵穴のような形状をしています。
古墳の中では最もポピュラーな形状で、古墳と言ったらこの前方後円墳を
思い浮かべる方が多いでしょうね。
全景

二つの異なる形状で構成されているのがお判りでしょうか。
ピラミッドに見える前方部

前方部を真正面から撮影しました。このアングルだとピラミッドのようです。
1968年、この稲荷山古墳を発掘調査をしたところ、
『金錯銘鉄剣』が後円部から出土されました。
日本史の教科書でも必ず出典されています。。1983年に国宝に指定されました。
その名のとおり、長さ約73.5cmの刀剣の全115文字の銘文には、
辛亥年という表記から西暦471年(定説)が、
『ワカタケル大王』表記から21代雄略天皇を読み取ることが出来、
同天皇が実 在したという具体的な証拠にもなった貴重な資料となりました。
実物は公園内の『埼玉県立さきたま史跡の博物館』に展示されています。
では、稲荷山古墳に登ってみましょう。
前方部から登って頂上へ行くと、その先に後円部が見えます。
前方部から後円部を望む

後円部から前方部を望む

更に進んでいくと、いよいよ後円部に到着。頂上に立ってみます。
『金錯銘鉄刀』を含め、数々の副葬品が出土したのがここです。
現在、その出土時の状態を再現した陶製パネルがあり分かりやすい説明もあります。
稲荷山古墳後円部からの風景

見晴らしの良い後円部頂上から1枚。
写真にあるタワーは『古代蓮の里』の展望台。高さは約50mとのこと。
古代蓮は行田市の『市の花』。『古代蓮の里』の古代蓮の見ごろは夏
展望台から見ることが出来る『田んぼアート』も最近の人気となっています。
今回はここまでのご紹介になります。
次回、『将軍山古墳』をご紹介致しますのでお楽しみに!!
※当ブログの掲載写真は投稿者自らの撮影であり、掲載許可を頂いております。