埼玉県の発祥の地vol.2
2021.03.31
志木富士見店のブログをご覧頂きありがとうございます。
お待たせ致しました! 埼玉県発祥の地、行田市を巡るシリーズVoL.2です!
前回に引き継づき、さきたま古墳公園よりご紹介致します。
(vol2よりご覧の方は是非vol1よりお楽しみ下さい♪)
前回の稲荷山古墳から下って、北東へ歩いていくと『将軍山古墳』に到着♪
【将軍山古墳】
『将軍山古墳』は6世紀後半に築造された、墳丘長90mの前方後円墳。
全景
ご紹介した古墳の中でも、最も築造時の形状がはっきりと分かる古墳です。
墳丘の周りには『円筒埴輪』が等間隔で並んでいます。
円筒埴輪を拡大撮影。
1894年、地元の人々によって行われた発掘により、横穴式石室や多くの副葬品が出土されました。
また、墳丘の東側(写真の反対側)が大きく削られていたらしく、石室の一部が露出するなど
崩壊のおそれもあったため、1991年に埼玉県は『将軍山古墳』の復原とともに円筒埴輪の配列
を行ったそうです。
更には、後円部の崩壊した箇所をドーム化とし、内部を展示館として改築しました。
1997年、横穴式石室と副葬品をに埋葬当時の配列で再現したのち、『将軍山古墳展示館』
として公開されました。
埼玉古墳群の中でも、古墳の内部が観察出来るのは『将軍山古墳』だけです。
『将軍山古墳』をあとにして南南西方向へ歩いていくと、『大きな二つの山』が見えてきます。
そこは…今回最後にご紹介をする古墳、『二子山古墳』です。
【二子山古墳】
『二子山古墳』は墳丘長132.2mを誇る、『武蔵国』(現在の埼玉県と東京都)で最大の前方後円墳です。
二子山古墳全景
だいぶ近づいて来ましたが、やはり『大きな二つの山』に見えます。
二子山古墳後円部
よーく見ると、手前側の山が『前方後円墳』の後円部です。そして向こう側の山が前方部。
更に、今までご紹介した古墳とは明らかに異なるのが、墳丘の周囲にはっきりした『お堀』があります。
以前この堀には水が入っていましたが、墳丘の崩落を防ぐため水を抜く工事がされたようですね。
それにしても大きな古墳です。尚、この『二子山古墳』は未だに発掘調査がされていないそうです。
古墳巡りを満喫した私は、次の目的の地『忍城』を目指します。
『忍城』に向かう途中、行田市民プールとバスターミナルの横に『蒸気機関車』を発見しました。
思わず、愛車💛新型ルーミーを駐車場に入れて見学に行きました。
C57機関車
お~ Σ(゚Д゚)
『貴婦人』の愛称を持つ、『C57蒸気機関車26号機』ではないですか⁉
現代の洗練されたデザインを持つ新幹線もカッコイイのですが、重厚感と力強さ、
そしてメカニカル感満載の蒸気機関車の雄姿には、新幹線とは違ったカッコよさはもちろん、
その機能的な魅力に圧倒されてしまいました。
かつては、東海道を全力で駆け抜けた旅客列車専用に製造されました。その証が3軸、動輪片側
3輪のフォルム。のちに国内最高速度を誇った『C62蒸気機関車』も同じ機構です。
つまり、Cのアルファベットは動輪3軸を表しているのだそうで、速度が速いのが特徴。
『D51(デゴイチ)』は4軸なのでアルファベットDを使用したそうです。D型は牽引力に優れていて、
主に貨物列車専用に使われたそうです。
『C57機関車』とも別れを告げて、MYルーミーを『忍城址』へ走らせます……。
今回のご紹介はここまでになります。
次回Vol3では、忍城よりご紹介致します。
お楽しみに~✋ ((´∀`))
今回、古墳のご紹介を快くご承諾ご協力頂きました『埼玉県立さきたま史跡の博物館』
の皆様ありがとうございました。
※当ブログの掲載写真は投稿者自らの撮影であり、掲載許可を頂いております。
志木富士見店のページはこちらから
https://www.saitamatoyota.co.jp/store/shikifujimi
お待たせ致しました! 埼玉県発祥の地、行田市を巡るシリーズVoL.2です!
前回に引き継づき、さきたま古墳公園よりご紹介致します。
(vol2よりご覧の方は是非vol1よりお楽しみ下さい♪)
前回の稲荷山古墳から下って、北東へ歩いていくと『将軍山古墳』に到着♪
【将軍山古墳】
『将軍山古墳』は6世紀後半に築造された、墳丘長90mの前方後円墳。
全景
ご紹介した古墳の中でも、最も築造時の形状がはっきりと分かる古墳です。
墳丘の周りには『円筒埴輪』が等間隔で並んでいます。
円筒埴輪を拡大撮影。
1894年、地元の人々によって行われた発掘により、横穴式石室や多くの副葬品が出土されました。
また、墳丘の東側(写真の反対側)が大きく削られていたらしく、石室の一部が露出するなど
崩壊のおそれもあったため、1991年に埼玉県は『将軍山古墳』の復原とともに円筒埴輪の配列
を行ったそうです。
更には、後円部の崩壊した箇所をドーム化とし、内部を展示館として改築しました。
1997年、横穴式石室と副葬品をに埋葬当時の配列で再現したのち、『将軍山古墳展示館』
として公開されました。
埼玉古墳群の中でも、古墳の内部が観察出来るのは『将軍山古墳』だけです。
『将軍山古墳』をあとにして南南西方向へ歩いていくと、『大きな二つの山』が見えてきます。
そこは…今回最後にご紹介をする古墳、『二子山古墳』です。
【二子山古墳】
『二子山古墳』は墳丘長132.2mを誇る、『武蔵国』(現在の埼玉県と東京都)で最大の前方後円墳です。
二子山古墳全景
だいぶ近づいて来ましたが、やはり『大きな二つの山』に見えます。
二子山古墳後円部
よーく見ると、手前側の山が『前方後円墳』の後円部です。そして向こう側の山が前方部。
更に、今までご紹介した古墳とは明らかに異なるのが、墳丘の周囲にはっきりした『お堀』があります。
以前この堀には水が入っていましたが、墳丘の崩落を防ぐため水を抜く工事がされたようですね。
それにしても大きな古墳です。尚、この『二子山古墳』は未だに発掘調査がされていないそうです。
古墳巡りを満喫した私は、次の目的の地『忍城』を目指します。
『忍城』に向かう途中、行田市民プールとバスターミナルの横に『蒸気機関車』を発見しました。
思わず、愛車💛新型ルーミーを駐車場に入れて見学に行きました。
C57機関車
お~ Σ(゚Д゚)
『貴婦人』の愛称を持つ、『C57蒸気機関車26号機』ではないですか⁉
現代の洗練されたデザインを持つ新幹線もカッコイイのですが、重厚感と力強さ、
そしてメカニカル感満載の蒸気機関車の雄姿には、新幹線とは違ったカッコよさはもちろん、
その機能的な魅力に圧倒されてしまいました。
かつては、東海道を全力で駆け抜けた旅客列車専用に製造されました。その証が3軸、動輪片側
3輪のフォルム。のちに国内最高速度を誇った『C62蒸気機関車』も同じ機構です。
つまり、Cのアルファベットは動輪3軸を表しているのだそうで、速度が速いのが特徴。
『D51(デゴイチ)』は4軸なのでアルファベットDを使用したそうです。D型は牽引力に優れていて、
主に貨物列車専用に使われたそうです。
『C57機関車』とも別れを告げて、MYルーミーを『忍城址』へ走らせます……。
今回のご紹介はここまでになります。
次回Vol3では、忍城よりご紹介致します。
お楽しみに~✋ ((´∀`))
今回、古墳のご紹介を快くご承諾ご協力頂きました『埼玉県立さきたま史跡の博物館』
の皆様ありがとうございました。
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